川村信子 母が作ってくれたホットケーキの味
2006年、川村信子が55歳の時、
たったひとつ残った高槻市の焼肉屋本店が、不審火でなんと全焼。
この先一体どうすればいいのか、
55歳にしてどん底に突き落とされた川村信子が訪れた場所、
それは、それまで信子を応援してくれた兄・典男の元だった。
信子は苦しい胸のうちをすべてさらけ出し、話をした。
すると兄・典男は、
「人生七転び八起き。お前は立ち上がる女、やる女や」
川村信子
「起きるしかない。『お前は起きる女やねん』『お前はやる女やねん』、
お兄ちゃんが私の顔を見て『人生七転び八起き』って言ったのが、
あれが最初で最後じゃないかしら」
だが、一体何をやればいいのか…。
そんな時、頭に浮かんだのは、
母が作ってくれたあのホットケーキの味だった。
こうして信子が次に目をつけたのが、スイーツだった。
そして、頼りになる兄に資金の協力を依頼。
すると、兄は二つ返事で快諾してくれた。
こうして兄を会社の専務に迎え、
2006年11月、川村信子55歳の時、
本格的な洋菓子店「マダムシンコ」を開業。
だが、またしても大きなトラブルに巻き込まれてしまう…。
それは、オープンからわずか1ヶ月のことだった。
雇ったパティシエと、
材料費、店のモットーなどを巡って意見が対立。
ケーキを作るパティシエが店から去るという非常事態に。
そして年が明けた2007年のお正月。
店を開けるにはパティシエがおらず、誰もケーキは作れない。
まさに絶体絶命のピンチだった。
しかしこのピンチこそが、あの大人気スイーツ、
「マダムブリュレ」を生むのである。