川村信子 成功と優しい兄の存在
そしてこの成功を誰よりも喜んでくれた人、
それは他ならぬ、兄・典男だった。
兄は笑顔でピースサインをしていた。
ところが、やっと成功し始めた矢先、
兄・典男から聞かされたのは、兄の肺がん発覚。
余命3ヶ月。末期がんだった。
川村信子
「一緒に事業始めて、やっとでこれから頑張るなあっていう時期やってんけどね…」
「『神様っていてんのかなぁ』っていうのを何度も思ったことあった…」
これまで苦しい時には、いつも支えてくれた兄。
兄無しで生きていくことなど信子には考えられなかった。
そんな時、
将来を悲観する信子を励ましてくれたのも、
やはり病床の兄・典男だった。
そして入院からわずか6ヶ月後の2009年5月、
兄は危篤状態に…。
意識が朦朧とする中、兄が信子に見せたのは、ピースサイン。
典男
「ありがとう…。さようなら」
川村信子
「『ありがとう ほんまに幸せやった』言うて、
『俺はほんまに幸せやった ありがとう』言うて、
『さようなら さようなら』言うてピースしながら死んだんですよ」
「ありがとう さようなら」、
そんな言葉を残し、兄は静かに息を引き取っっていった。
享年61歳。
あまりにも深い悲しみ、それを乗り越える時に思い出すのは、
兄・典男のピースサイン。
「お前ならやれる」という兄の言葉に導かれるかのように、
マダムシンコの業績は右肩上がりに急成長。
店舗には、連日行列が出来、
マダムブリュレは1日4000個以上の売り上げ。
(2012年2月現在)
ネット通販では、4ヶ月待ちという人気を獲得。
会社は年商23億円にまで成長したのである。
川村信子
「常に私の横には兄がいました。
まさか兄がいなくなるなんて夢にも思ってなかったし、
やっぱりでも、試練でもいっぱいとことんどん底に落ちて、
神様は試してはるんです」
かつて、人生のどん底に立たされていた川村信子。
しかし川村信子は、バイタリティと根性、
そして、自分のすべてを注ぎ込んだアイデアで、
絶体絶命のピンチをチャンスに変えた。
川村信子が頑張ってこれたのは、優しい兄のお陰だった。